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高校野球豪腕・球速勝負

剛球・豪腕名勝負


かつての大投手といえば、江川卓を挙げる人も多い反面、そのことに
異を唱える方も多いと思います。 150キロは優に出ていたという速球
に、力をセーブするために、試合終盤まで試合の流れをコントロール
できるほどの巧みな、手抜き!?投球術は、やはり野球玄人筋の目を
見張らせたことは言うまでもありません。当時のスピードガンでは、1
48キロ前後の球速表示が主でしたが、実際の手許に伸びてくる球威や、
なんといってもホップするボールはその数字では表せないほどの威力
があったそうです。

阪急・山口高志の投球


スナップをかけている分、球速を殺してしまっているのですが、江川 が山口高志のように剛球一本勝負で投げていれば、もっと速い表示も 出たかもしれません。とはいっても投手一人一人の投げ方がそもそも 違うのだから、スナップをかけない投げ方に替えるというのもできな い相談だといわれそうですが。 要は、縦回転のスピンでホップして浮き上がり、手元で伸びてくる球 を持味としていました。

作新学院当時の江川卓
                 

作新学院から法政大学時代にかけて、特に作新時代が江川の全盛期だ ったと言われていたように、プロに入ってからは球速球威が落ちたと 云われたものですが、性能の悪い当時のスピードガンで計っても未だ 150キロ以上は出していました。
⇒ 江川卓 MAX 151km/h 速球 ヤクルト対巨人戦 youtube

上の動画は消去されていますが、神宮で計測されたものです。 過去の既に辞められたピッチャーの現役時代が、時代を経るにつれて 伝説化されて、美談仕立てで語られる事が確かに多いのですが、高校 時代の江川卓の映像などを確かめても、その球威や軌道の独特さはお ろか、速球の速さに異を唱えるものは、そういないだろうと思います。 例えば、“怪童”と一世を風靡した浪商の尾崎行雄。 高校時代には法 政二高の柴田勲投手と激烈な投手戦を戦い抜き、法政二高の「夏春夏」 の三連覇を阻止しました。 その勲章を引っさげて高校二年で当時の東 映フライヤーズに入団、20勝投手として何度か君臨したのち、 その当 時の多くのピッチャーに見られたように “太く短い投手”人生を終わ らせました。 そんな尾崎の球速を現代のスピードガンで(映画会社の) 東映が独自 に分析したところ、159キロ/hは出ていた・・とのことです。 一昔前のピッチャーだから・・・、古い選手だから・・・ 彼らの技量が現代 の選手らと比べて一概に劣っている・・ というわけではないことは、例 えば、人間の一世代の交代の時期というのは早くても30年ほどかかるよ うに、数十年、百年ちょっとほどの時間では、人間の能力はそうは進化 (変化)はしません(さすがに百年経つと、特に明治維新からの急速な 近代化による食生活の欧米化によってガタイ・体型の変化はいかんとも し難いものがあるので、百年はいい過ぎでした)。 その尾崎も剛球主体の投手とだけ見られがちですが、 プロの世界で20 勝を何度かしているのは球速だけの投手だったからではなく、 実に精 密なコントロールも兼ね備えていました。 速球だけでは野球ができないのは、 元中日で沖縄水産高時代の上原晃 投手を思い起こせば誰でも納得されることでしょう。 上原投手の弱点 はまさに“ノーコン”に尽きていたと思います。 翻って現代を見れば、 レッドソックスの松坂大輔は、 その高校時代に磨いた背筋力を生かし た剛球以上に、その特有の球質・ジャイロボール に拠る活躍が大きい とされています。 そうでなければ、 それ以上の速球を持ち合わせる多くのメジャーリー ガーの豪腕投手らとガチで太刀打ちできるはずもありません。 反対に1980年以降の甲子園を黄色い声で沸かした早実の荒木大輔投手 は、都会派の洗練さを思わせる投球術とタマの切れで勝負していまし た。ですが、その悲願の甲子園優勝という野望を打ち砕いたのも豪腕 チームの徳島・池田高校でした。 トレーニングでは バーベルを積極的に取り入れ、ただバーベルを振り 回しているのではなく、合間にダッシュ走やインターバルを入れたサ ーキットトレーニング、ご飯も三合 ‥ が彼らの身体の大きさを物語 り、当時の甲子園のスター軍団だった早実の選手らは、 試合前に彼ら 池田の畠山、水野、江上らの体付きを見て、圧倒され、 ひょっとして 負け!?・・を悟っていたとのことです。 試合前の、この時から、勝負 はこの時から決していた・・ と、終わった後の今だから言えるのでしょ うが、この事は、同じ池田相手に二桁敗戦の力負けを喫した 東東京の 帝京高校が、のちのチーム力を形成する際の原点になっていると、当の 前田三夫監督はのちのち述べています。

1982年、夏の甲子園準々決勝、
池田高校が早稲田実・荒木大輔、救援の石井丈裕をホームラン攻勢で打ち崩した試合



こぼれ話として、池田高校の選手らは打席に立つ前に、ベンチ裏で、バ ットをキンキンに冷やしていたとのことです。こうするとバット密度が 上がって打ち返された球の飛距離が伸びること請け合いです。 現在では試合中にバットを冷やす行為は禁止されているとのこと・・・。

豪腕・剛球として成功するには


野球で勝つ条件として、ただ速球スピードが速いだけでは、学生時代
などでは巧くかわせたとしても、プロの世界では年を経るにつれその
長所短所を綿密に事細かく研究され尽くされてしまいます。残ってい
く投手としての特徴として挙げられることとして、先天的後天的なも
のを問わず、その身体的な特徴に有るといえます。
堀内恒夫は 幼い頃のケガがもとで人差し指の先が欠けていたことが、
のちのプロの世界での変則的な球質を生み出したように、ある人のハ
ンデとされていた事柄が、のちの本人の武器となるということは、現
在プロの世界で活躍されている選手たちの多くの人たちが共通して持
ち合わせている体験だと言われています。 災い転じて福と成す、とい
うわけでもありませんが、多くの活躍している ないし活躍してきたプ
ロ選手の多くにこれらの“ハンデ”が共通体験としてあるようです。

王貞治は、生まれた当初は未熟児だったとのことで、のちのホームラ
ン量産の基礎は幼少期のムダな肉のない線の細さ(勿論、生まれ持っ
た身体のバネやしなやかさにもありますが) にもあったといえるでし
ょう。

まだ秘めた状態の身体能力を生かすためには、トレーニングといった
後天的な努力にしか開花の道はないのですが、そのトレーニングの方
法も、筋肉増強剤を使用して格闘家のような身体を単純につくるだけ
では 成功は覚束ないでしょう。
活躍が仮にあったとしても 非常に短い現役時代となり、引退後もその
副作用に生涯苦しむことになります。
もちろん ウェートトレーニングで体幅を大きくすることは球技では特
に成功に必要条件となりますが、 上記で述べましたようにサーキット
トレーニングで筋持久力や体幹を鍛えるあくまで一環として、 これら
バーベルトレーニングを取り入れることが 成功への十分条件になって
くるはずです。

時代が下るにつれ、 日本人の“ガタイ”も大きくなってきました。現
在では、 花巻東高校時代の菊池雄星、帝京高校の1年生当時の2009年、
148キロ を投げ込んだ伊藤拓郎のような大型投手もフツウに見られ
るようになってきました。 大型投手は、通常“スケールのデカイ”と
冠がついたものですが、今やこれが普通になりつつあります。
但し、 彼らもかつての池田高校などのトレーニングの成果を取り入れ
た環境の中で育まれてきたこともまぎれのない事実なのです。



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